宇佐神宮 寺・神社
2014年の年末の12月に観光で九州へ訪れ、この宇佐神宮へ訪れ、参拝しました。
JR日豊線の宇佐で下車しました。往路は丁度良いバスが無かったので、タクシーで向かいました。
参道沿いに大分交通の宇佐参宮線で走っていた26号蒸気機関車が置かれています。ドイツから購入した機関車だそうです。宇佐参宮線は1965年(昭和40年)に廃止されたそうです。
まず、上宮に向かいました。上宮は「じょうぐう」と読みます。
鉄好きの私としては、宇佐神宮の「モノレール」にも興味が有りました。神宮の杜を奥の方へ歩きました。「百段」の石段が着きました。南大門が立っています。南向きの石段が白く輝いていました。石段の脇に「モノレール」が有ります。斜行エレベーターと同様のものだと思います。エレベーターと同様にボタンを押して、カゴ(ゴンドラ)を呼びました。カゴがゆっくり下りてきて、乗り場に来ました。カゴに乗って、上へ上がりました。上宮の近くに上がりました。
上宮に来て、気付きました。私の調査不足でした。壮麗なはずの国宝の本殿が工事中で、全くそれが見えませんでした。2015年(平成27年)3月まで工事中の予定だそうです。こりゃ、再度訪問しないといかんかな。
八幡大神尊の一之御殿、比売大神尊の二之御殿、神功皇后尊の三之御殿の3つの御殿が並んでいます。それぞれの神様についてはウイキペディア等を参照ください。一之御殿から順に参拝しました。宇佐神宮の参拝は「二拝四拍手一拝」です。それぞれにお賽銭を納め、二拝四拍手一拝で参拝しました。上宮では国の安泰や繁栄をお祈りすると良いそうです。
上宮の脇に絵画館が有ります。入館料は1人100円でした。宇佐神宮の由緒や奈良時代の「神託事件」について絵画で示されていました。草創の頃の勇ましく戦う神様達が描かれていました。
本来の参道を下り、麓へ下りました。
下宮にも参拝しました。下宮は「げぐう」と読みます。下宮も上宮と同様に、一之御殿、二之御殿、三之御殿の3つの御殿が並んでいます。それぞれにお賽銭を納め、参拝しました。下宮は工事中ではなく、御殿を眺めることができました。下宮では自分や身の周りの人々のことをお祈りすると、良いそうです。
境内の中央に広々とした菱形池が有ります。この池も恐れ多く、有りがたい池です。いろいろと橋を渡り、歩きました。
上宮の有る亀山の麓の一角に御霊水が有ります。いくつか井戸が有ります。井戸の蓋を開けたら、水が見えました。あまり綺麗には見えませんでした。
境内の東側へ歩きました。頓宮が有ります。「とんぐう」と読みます。お祭りの神幸祭に使う社殿だそうです。お祭りのときに、一之御殿、二之御殿、三之御殿のそれぞれの神様が神輿に乗って、ここにいらっしゃるそうです。
さらに東へ歩きました。神宮を出て、細い御食川を渡りました。御食川は「みけがわ」と読みます。大尾神社に向かいました。参道の両脇に巨大な灯篭が立っています。石段をしばらく登っていると、暖かくなってきました。途中に「神託事件」の和気清麻呂公の大きな碑が立っています。カーブしている道を上ったら、大尾神社に着きました。朱塗りの格子の有る壁に遮られていますが、何か神秘的なものを感じました。
ずーっと戻って、神宮の宝物館を見学しました。入館料は1人300円でした。格別のお宝がいくつも有りました。
国宝の「孔雀文磬」が展示されています。文磬は打ち鳴らす楽器のようなものです。
上宮御本殿が工事中で、見られなかった代わりの見ものが有りました。通常何人も目にすることができない御本殿の鳳凰の障壁画が特別公開されていました。
他に境内の社殿の配置を記した古図がいくつも展示されていました。古代の建築設計図です。
これを見ると、境内の池の辺り等、あちこちに一之御殿、二之御殿、三之御殿の3つの御殿のセットの図が記されていました。境内の各社殿の造替 建て替えに伴い、各社殿の仮社殿が建てられていたようです。
さらに、神宮寺という神宮の付属の寺が有って、そこには塔等も建っていたようです。古の頃には境内に今よりももっとたくさんの社殿等が林立していて、とても壮麗で賑やかな聖域を形成していたのでしょう。
神宮の周りを寄藻川が流れています。「よりもがわ」と読みます。神宮の東側の寄藻川に神橋と呉橋が架かっています。呉橋は「くれはし」と読みます。鎌倉時代の頃から有った橋だそうです。度々修築されてきたそうです。屋根が有り、中国風で、横たわる龍のような橋です。
帰りは大分交通のバスで宇佐駅まで戻りました。
一通り参拝し、観光しました。この宇佐神宮はこれだけではないと思います。
宇佐神宮は全国の八幡宮の総本社です。どの町でも有る神社 八幡宮はウィキペディアによると、全国に4万4千社有るそうです。「八幡神」様を祭っています。八幡神様は第15代天皇である応神天皇陛下のことだそうです。
宇佐神宮の由緒書きに皇室が伊勢神宮につぐ第二の宗廟として宇佐神宮をご崇敬されていると記されています。
これらのことが何を意味するのか。歴史的な想像、妄想を掻き立てられます。私が思ったことをちょっと書きます。
地名の「宇佐」、「伊勢」に発音上の共通点が有ります。「ウサ」、「イセ」であり、1音目がア行で、2音目がサ行となっています。これに何か意味が有るはずですが、今の私の日本語の知識ではそれが分かりません。つまり、かなりの昔、今の日本語とは違う言葉が使われていたのだろうと考えました。その頃に、宇佐と伊勢で何かが有ったのかもしれません。九州の「阿蘇」、北海道の「有珠」にもこの共通点が有ります。これらが何を意味するのでしょうか。
伊勢神宮はよく知られています。祭られている天照大神尊は天皇家の祖先の神様であり、はっきりしています。一方、宇佐で天皇の第15代目がなぜ、御示現 お現れになったのか、はっきりしません。伊勢神宮ではなく、このよく分からない宇佐神宮に我が国日本の秘密が隠されているように思いました。
日本中のいろいろな伝説が宇佐に繋がっているのかもしれません。
「八幡」は「やわた」とも読めます。九州北部の地名に「八幡」が有ります。九州北部は古代日本へのつながりがいろいろと有るのでしょう。1901年(明治34年)に操業開始した製鉄所が「八幡製鉄所」というのも因縁でしょうか。
さらに、日本の同盟国 米国U.S.A.が独立する1000年以上前から、ここがUSAなのも、因縁でしょうか。こりゃ関係無いか。