2014年12月31日水曜日

鹿児島の夜

鹿児島空港 空港
2014年の年末の12月末、九州への旅行で鹿児島空港より東京への帰途につきました。
鹿児島中央から空港連絡バスで鹿児島空港へ行きました。空港連絡バスは高速道路を走り、約45分でした。遠いなと思いました。鹿児島空港は霧島市に有ります。
国内線ターミナルと国際線ターミナルが有りますが、私達は国内線ターミナルを利用しました。
先に、航空券の取得、手荷物預け等の手続きをしました。
1階と2階におみやげ物屋が有ります。九州の長崎のお菓子等を買おうと思ったのですが、鹿児島以外のものはあまり有りませんでした。
飲食店がいろいろと有ります。私達は3階の寿司店で夕食としました。キビナゴ等、おいしかった。
便利で快適な空港だと思いました。

空港での年越しそば

スカイショップ スカイテラス (中福良、表木山、嘉例川 / カフェ・喫茶(その他)、そば、うどん)
2014年の大晦日12月31日、九州への旅行で鹿児島空港より東京への帰途につきました。
保安検査場での手荷物と所持品の検査後の搭乗ロビーにも軽食のお店が有るものです。念のため、自分が乗る飛行機の搭乗口を確認しておきました。
搭乗ロビーで見渡すと、この「スカイテラス」を見付けました。
メニューに「さつまそば」が有り、470円のこれを注文しました。水は使い捨てのポリカップに注ぎました。
ちょっと待ったら、トレーに載って、出てきました。
大晦日の年越しそばです。
軟らかいそばでした。色の薄い魚の風味のいわゆる白だしの汁でした。アゴダシでしょうか。
独特で、おいしいそばと汁でした。
「さつまそば」ということで、細長いさつま揚げが1本載っていました。白い上品な風味のさつま揚げでした。
窓から夜の滑走路と飛行機が見えました。軽食のお店にしては贅沢な眺めでした。
九州旅行のシメであり、2014年の年越しでした。


旅先での寿司屋

エアポート山形屋彩華 (中福良、表木山、嘉例川 / 寿司、郷土料理(その他)、中華料理)
2014年の大晦日12月31日、九州への旅行で鹿児島空港より東京への帰途につきました。
先に、1階で航空券の取得、手荷物預け等の手続きをしました。
鹿児島では「山形屋」は老舗百貨店だそうです。鹿児島空港に山形屋の物販店や飲食店が多数有ります。
3階に山形屋の寿司屋が有り、ここで夕食としました。旅先での寿司屋です。
キビナゴの刺身、キビナゴのフライ、黒豚ウインナーを注文しました。キビナゴの刺身には酢味噌が付きました。刺身に酢味噌を付けたり、醤油を付けたりして、食べました。黒豚ウインナーは東京でも有りますが、ここで食べると、有り難い思いをしました。どれもおいしかった。
「本マグロ中トロにぎり」2,200円も注文しました。握りが4個と鉄火巻きが3個でした。この握りがメニューでは「中トロ」でしたが、ほとんど大トロだと思いました。お得な感じがしました。とてもおいしいマグロでした。
空港のお店ということで、寿司屋らしくない雰囲気ですが。
良いお店だと思いました。おいしかった。



時間が限られているときは、要注意

城山公園 公園・植物園
2014年の年末の12月末、午後4時32分に鹿児島中央に到着しました。午後8時40分に鹿児島空港より帰途につく予定でした。
時間が僅かでしたが、鹿児島の観光もしたいと思いました。
駅前でタクシーに乗りました。鹿児島城に行くか、城山に行くか、迷いました。城山に向かいました。タクシーですぐでした。
樹木に覆われた城山でした。
城山のバス停からちょっと歩いたら、展望台に着きました。目の前に雄大な桜島が見えました。
下の方には照国神社の大きな白い鳥居が見えました。鹿児島の街並みが見えました。夕方だったので、灯りが点りはじめていました。
城山の頂上は標高108mだそうです。
鹿児島城は麓に有りましたが、この城山にも上之城という城が有ったそうです。でも、あまり城として使われなかったようで、樹木が繁茂してきたそうです。城郭は残っていないそうです。
歩いて、鹿児島中央に向かいました。麓までのヘアピン状の遊歩道の延長がかなり長かった。麓から鹿児島中央まで、私が不慣れだったので、道が分かりにかった。案外と距離が有りました。時間が限られているときは、ご注意ください。
ま、頑張って、歩いたので、鹿児島中央駅に着きました。空港連絡バスで鹿児島空港に向かいました。

鹿児島へ

特急 はやとの風 乗り物
JR九州の吉松と鹿児島中央を結ぶ特急です。この列車名は古代日本のこの辺りに居住していた「隼人族」に因むそうです。
2014年の年末の12月末、乗車しました。吉松から鹿児島中央へ向かいました。
自由席が僅かです。指定席を確保する方が良いと思います。
私が乗車したときは、気動車の2両編成でした。
工業デザイナーの水戸岡鋭治使徒のデザインによるものです。概観は茶色っぽい黒1色です。鹿児島の名物には「黒」が多いからだとか。
内装は木材を多用した暖かみ有る感じです。
女性の車掌さんが乗務していました。観光の車窓ガイドを頻繁にされ、楽しめました。
吉松から隼人までは九州山地の間を下りました。この間はたいした車窓は有りませんでした。
隼人からJR日豊線を走りました。架線の下を気動車で突っ走りました。鹿児島湾(錦江湾)沿いの海の近くを走りました。穏やかな海でした。雄大な桜島が見えました。
ときどき、イルカが跳ねるのが見えるとのガイドが有りました。よーく見ていたら、本当に跳ねるのが見えました。!(^^)!

矢岳のSL

人吉市SL展示館 名所・史跡
2014年の年末の12月末に訪れました。
「人吉市SL展示館」ですが、人吉ではなく、矢岳に有ります。JR肥薩線の矢岳駅は標高約537mです。その矢岳駅に隣接して、このSL展示館が有ります。
展示館というよりも機関車の車庫という感じの建物です。
蒸気機関車のD51-170の1台のみが保管され、展示されていました。運転室に上がることができました。このデゴイチはとても綺麗に保管されており、今にも走り出そうでした。
以前は8620形蒸気機関車の「58654」もここに保管されていました。58654は蒸気機関車として復活し、現在、客車を曳いて、JR肥薩線を走っています。
観光客がSL展示館に着くと、即席のお店がオープンしました。シイタケや伝統玩具の「きじ車」等が販売されていました。

矢岳越え

観光列車 いさぶろう号/しんぺい号 乗り物
JR九州の観光列車です。JR肥薩線の人吉から吉松まで走ります。
2014年の年末の12月末に九州へ観光で訪れ、この列車に乗車しました。
「特急」ではなく、特急料金を要しない「普通列車」です。普通列車ですが、自由席が僅かであったり、無かったりするそうです。私は事前に指定席を予約しました。
人吉をPM1時21分に出るいさぶろう3号に乗車しました。
気動車の3両編成でした。これも鉄道の神様が地上に差し向けた工業デザイナーの水戸岡鋭治使徒によるデザインです。外観は濃い赤色で、古代漆の色だそうです。内装は木材を多用されており、椅子も木材が用いられていました。
女性の乗務員さんが乗務されており、観光のガイド等をされていました。
九州の鹿児島への鉄道は当初、海沿いの鹿児島線ではなく、山を行くこの肥薩線が先に建設されました。そのとき、九州山地の抜ける人吉から吉松までの間が難所でした。スイッチバック、ループ線、トンネルにより、この難所が克服されました。
難航時の末、明治41年(1908年)に全長2096mの第一矢岳トンネルが完成しました。トンネルの北側の大畑側には当時の逓信大臣 山縣伊三郎氏の「天險若夷」の文字が掲げられています。「てんけんじゃくい」と読みます。南側の矢岳側には当時の鉄道院総裁 後藤新平氏の「引重致遠」の文字が掲げられています。「いんじゅうちえん」と読みます。合わせて、「天下の難所を平地であるかのようにしたおかげで、重い貨物を遠くへ運ぶことができる」という意味になっています。
このことに因み、この人吉から吉松に向かう列車が「いさぶろう」と名付けられました。また、吉松から人吉に向かう観光用の列車が「しんぺい」と名付けられました。
この矢岳越えを通ってみて、明治時代の日本のたくましさを感じました。
いくつかの駅で少々停車していました。駅での写真撮影等をしました。
いろいろと楽しい列車でした。


ひと休み

人吉駅 (JR九州) /人吉温泉駅 (くま川鉄道) 駅
2014年の年末の12月末に訪れました。
人吉は九州山地に囲まれた盆地です。
JR肥薩線は八代より人吉までは球磨川の渓流沿いを走ります。人吉から矢岳までがスイッチバック、ループ線、トンネルによる矢岳越えです。
人吉駅でひと休みという感じです。駅では駅弁が売られていました。駅周囲におみやげ物屋も有ります。
駅前に大きなからくり時計が有ります。お城を模したものです。朝から夕方までの毎時0分に動きはじめます。たくさんの人形がコミカルに動きました。約3分間作動するそうです。

JR九州の特急列車です。

九州横断特急 乗り物
JR九州の豪華列車「ななつ星」が話題になりましたが。えぇ、私はそれほど裕福ではありません。似たような所を通る「九州横断特急」に乗りました。
「九州横断特急」は大分県の別府から熊本県の阿蘇、熊本、八代を経て、人吉までを行き来しています。別府~熊本の間の列車と熊本~人吉の間の列車が1つの列車となった形となっています。温泉地や景勝地を走ります。速さのための特急と言うよりも、観光列車です。
2014年の年末の12月末に観光で九州へ訪れました。朝、大分県の三重町より九州横断特急1号に乗車しました。
念のため、事前に指定席を予約していました。
真っ赤な車体の3両編成でした。気動車の特急です。この列車も鉄道の神様が地上に送った工業デザイナーの水戸岡鋭治使徒によるデザインです。
ローカル線の列車ですが、車内販売が有りました。
まずは、JR豊肥線を阿蘇山へと走りました。通過した波野駅は標高754mで、この辺りがJR九州で最も標高が高い箇所だそうです。
阿蘇山のカルデラの貫く「坂の上トンネル」を抜けました。阿蘇山の外輪山の恐ろしく険しい絶壁が数回目の前に現れました。
カルデラの平原を走るようになると、両側の車窓に外輪山の壁が眺められました。外輪山の中を走りました。全く珍しい風景だと思いました。南側には雄大な阿蘇山の中央火口丘が見え、白い噴煙がちょっと見えました。阿蘇山の噴火はいつものことのようです。
カルデラ内の標高467mの赤水駅からカルデラの外の標高277mの立野駅までの間はスイッチバック形式の線路となっています。
熊本駅にAM11時9分に到着しました。AM11時24分の発車予定でした。熊本駅で私はこの時間に急いでフンフンフンを食べました。
熊本から八代までは海の近くのはずですが、海は見えませんでした。
八代から球磨川沿いのJR肥薩線の登りの坂道を軽快に走りました。ゆったりとした球磨川の渓流、良い景色でした。

鉄道の旅で

まるうまラーメン JR熊本店 (熊本、熊本駅前、二本木口 / ラーメン)
2014年の大晦日12月31日、JR九州の「九州横断特急」1号での旅でした。熊本駅にAM11時9分に到着しました。AM11時24分の発車予定でした。
ちょっとした停車時間ということで、ここのホームで麺を食べようと思いました。
直ちにホームに出て、勘で歩き始めました。この特急列車が停車したのは肥薩線の行き止まりのホームでした。その駅舎側へ歩いたら、このお店の赤い「ラーメン」の幟を見付けました。
すぐにお店に入りました。
急ぐので、店員さんに「ラーメン」と告げて、自販機で「ラーメン」580円の食券を買いました。
このお店は駅の改札外側と改札内側の両方に席が有ります。私が入った改札内側がカウンターのみです。急ぐので、「早く!」と思いながら、待ちました。数分で出てきました。
牛乳のような不透明のクリーミーなスープです。一気に食べました。
焦がしにんにくがたっぷり掛かっていました。下の方にキクラゲがたくさん入っていました。
九州の麺、おいしゅうございました。
何も無かったかのような素振りで、九州横断特急1号の座席に戻りました。

良い宿

ますの井 旅館
2014年の年末の12月に訪れました。滝等を観光しようと、豊後大野市へ行きました。拠点としてこの「ますの井」に2泊しました。
JR豊肥線の三重町駅のすぐ近くです。鉄道で訪れる者にとって便利な立地です。この辺りは他に宿泊施設があまり有りません。
楽天トラベルで予約しました。2人朝食付き1泊分が12,500円でした。
温泉街でなく、駅近くで、この値段。私はビジネスホテルだと思って訪れました。泊まってみて、ちょっとびっくり。ちゃんとした旅館だと思いました。
「ますの井」は「斛の井」だったようです。
ビジネスホテルだと思っていたので、洋室を予約しました。他に和室も有るようです。
4階にお風呂が有ります。温泉であり、ほんのちょっとぬるっとする程良い温度のお湯でした。のんびり浸かり、気持ち良かった。女風呂はちょっと狭いらしいです。
宿のホームページでは1階に「レストラン大野路」が表記されています。訪れたときはここが居酒屋の「つぼ八」となっています。大分の名物はあまり有りません。日本全国のおいしいものが食べられました。
朝食はこの「つぼ八」で出ました。洋食か和食かを選べました。洋食を選んだら、パンと目玉焼き等が出ました。旅館のおいしい朝食だと思いました。
1泊目の日は学生さん達がやや大勢宿泊しており、ロビー等がちょっと賑やかでした。

全国のおいしいもの

つぼ八 三重店 (三重町 / 居酒屋)
2014年の年末の12月末、九州へ観光で訪れました。JR豊肥線の三重町駅近くの「ますの井」というホテルに2泊しました。このホテルの1階にこの「つぼ八」が有ります。ますの井はビジネスホテルではなく、旅館のようで、良い感じの宿でした。
2晩ともここで夕食としました。
九州ならではの料理ではなく、日本全国のおいしいものという感じです。つぼ八なので。それぞれまあまあおいしかった。
このお店独自の大分名物の鶏天が有りました。この鶏天も注文しました。ボリューム有っておいしかった。
モツ鍋を注文して、鍋用のラーメンを注文しました。モツ鍋の汁で食べたこのラーメンがおいしかった。
ここはホテルの食堂となっています。朝食をここで食べました。つぼ八というよりも普通の旅館の朝食だと思いました。
この街に不慣れな私にとって便利で、有り難いつぼ八でした。

2014年12月30日火曜日

昭和のいろいろ

稲積水中鍾乳洞 自然・景勝地
大分県豊後大野市に有る鍾乳洞です。
2014年の年末の12月、タクシーで訪れました。
この鍾乳洞は空気中で形成されたものが、約8万5千円前の阿蘇山の噴火に伴い、水没したものだそうです。
1976年(昭和51年)より調査、開発が始められたそうです。人工的に一部掘削され、排水により水位が約2m下げられました。そこに観光路が設けられたそうです。
入場料は1人1,200円でした。
洞内の観光路はわりと長いです。アップダウンは無く、疲れることは有りませんでした。水はあまり流れが無いようで、埃が浮いているのが見られました。頭上の広がりや、岩の複雑な形状等、見応えが有りました。
場内には高さ22mの金色の稲積昇龍大観音、十二支像、七福神像、なつかし昭和オモチャ館、鯉やアイガモの池、開世寺美術館、白蛇堂、弘法大師像、弘法の滝、六地蔵、虹の滝、昭和のタイムトリップロマン座等が有ります。
いろいろとお宝が有ります。1つ1つが素晴らしいお宝です。でも、ものすごくたくさん有り、雑多という感じです。
こういう昭和のコテコテを私は好きです。



楽しい観光

名水亭 (三重町 / 定食・食堂)
2014年の年末の12月末、私と妻とで九州へ観光で訪れました。タクシーを使い、「稲積水中鍾乳洞」へ行きました。
お昼時に着いたので、まず、昼食としました。食堂である「名水亭」に入りました。自販機で食券を買い、私は「稲積カレー」780円を、妻はおにぎりを注文しました。
カレーはレトルトやチェーン店のような工業的なものではなく、手作りの感じがしました。案外とおいしかった。観光地ですが、良心的なお店だと思いました。
営業時間等はちょっと分かりません。詳しくは電話でご確認ください。
食後、大規模な鍾乳洞を見学し、昭和のいろいろなコテコテを見物しました、楽しい旅行でした。

名瀑

沈堕の滝 自然・景勝地
2014年の年末の12月訪れました。道が分からず、タクシーで向かいました。
アーチの大野橋を通るとき、迫力有る姿を垣間見ました。
大野川と緒方川の合流点のすぐ下流に沈堕の滝の雄滝が有ります。高さが20m、幅が100m有ります。豊富な水量、すごい迫力です。滝壺も広い。日本にこんな滝が有ったのかという思いです。
東側の大野川への平井川の合流口に雌滝が有ります。雌滝は小さく、おまけのような感じです。
雄滝と雌滝の間に発電所の廃墟が有ります。この廃墟はラピュタのような雰囲気です。
雄滝の上部に迸る水の白い帯が見えます。これは雄滝のすぐ上流に有る堰堤によるものです。発電のため、設けられた堰堤です。発電のため、滝の水量が大幅に減り、長期間悲しい景観となっていたそうです。1996年(平成8年)に工事が行われ、今の壮大な景観を取り戻したそうです。現在も発電は続いており、別の場所に発電所が有ります。
十数本の柱状節理の柱が並んでいます。自然が作り出した造形です。
「豊後のナイアガラ」とも呼ばれているそうですが。ナイアガラとは違う壮観だと思いました。


田園のナイアガラ

原尻の滝 自然・景勝地
日本で「ナイアガラ」というサブタイトルが有る滝がいくつか有ります。
この原尻の滝を映像で見たとき、これが最もナイアガラらしいと思いました。いつか行ってみようと思っていました。
2014年の年末の12月に訪れました。JR豊肥線の緒方駅からタクシーで向かいました。
12月の雨が少ない時季で、心配しましたが。問題有りませんでした。降雨ではなく、伏流水等による水量だと思います。
周囲は田園風景です。この地形も阿蘇山によるものだそうです。
立派な滝です。
上流に沈下橋が、下流に吊り橋の瀧見橋が有ります。滝下の川原にも行けます。
田園地帯ということで、水はちょっと汚れているような感じがしました。
滝から歩いて、緒方駅に戻ろうとしました。緒方駅の線路は築堤上です。原尻の滝側に入り口が無く、反対側にのみ駅舎と入り口が有ります。遠回りしなければなりません。分かりにくく、列車に遅れそうになりました。ご注意ください。
ここを訪れたら、セットで「沈堕の滝」もぜひ見てください。


大きな大日如来様

緒方宮迫東石仏 名所・史跡
2014年の年末の12月に訪れました。JR豊肥線の緒方駅よりタクシーで原尻の滝へ行こうとして、その途中で西の石仏に続き、ここにも寄りました。
県道でタクシーに待っていてもらいました。
県道より丘へ少々入るように歩きました。ここにも崖沿いに屋根が建っています。ここの崖はあまり高くありません。
中央が大日如来様とされています。ちょっと大きく、大仏様という感じです。左右が不動明王様と天部様とされています。さらに両脇に仁王像が刻まれているとされています。両脇の仁王像はかなり崩れており、一方は上半身が有りません。
大日如来様が他を従えているような仏様の組織的な並びです。西の石仏と時代が違うのかなと思いました。
ここでも賽銭箱が有り、10円玉を納め、拝みました。
ここも平安時代のものだそうで、ここは遺跡でもあると思いました。

三尊

緒方宮迫西石仏 名所・史跡
2014年の年末の12月に訪れました。JR豊肥線の緒方駅よりタクシーで原尻の滝へ行こうとして、その途中でここに寄りました。
県道でタクシーに待っていてもらいました。
県道より急な石段を少々登りました。崖下に屋根が建っています。今にも崖が崩れて、埋まりそうな感じがしました。崖より少々入り込んでおり、洞窟状となっています。
ここに釈迦如来様、阿弥陀如来様、薬師如来様の3尊がいらっしゃいます。釈迦如来様が中央です。
賽銭箱が有り、10円玉を納め、拝みました。
磨崖仏ですが、それぞれ人間と同じくらいの大きさです。3尊とも同じような姿です。素朴な感じで、良い感じでした。
平安時代のものだそうで、ここは遺跡でもあると思いました。

2014年12月29日月曜日

九州の味

なかつ宝来軒 別府駅店 (別府 / ラーメン)
2014年の年末の12月末、九州へ観光で訪れました。九州旅行の3日目でしたが、まだ、九州の麺を食べていませんでした。
別府駅の高架下はいろいろとショッピング街となっています。改札口に近いB-Passageはお土産屋やフードコートが有り、駅の一部という感じで、旅行者向けのエリアという感じがしました。
そのフードコートに行ったら、このラーメンの店を見付けました。ラーメン600円を注文しました。番号の札を渡されました。
屋号の「なかつ」は大分県の中津のことだと思います。博多ラーメン、久留米ラーメン、といろいろと有るようですが。関東の私にはよく分かりません。
ちょっとしたら、呼ばれました。ラーメンに白ゴマを振り、紅生姜を少々載せました。
いわゆる豚骨ラーメンだと思います。スープはちょっと澄んでいる感じでした。鶏だしの甘みが効いたスープだと思いました。
薄いチャーシューが数枚載っていました。嫌味が無く、おいしい肉でした。
こういうラーメン、東京でも有りますけどね。旅先へ訪れたら、食べねばと思ってしまいます。おいしゅうございました。
替え玉1回が無料でしたが、控えました。PM4時で、この後夕食でしたので。



高い所が好き

別府タワー 名所・史跡
2014年の年末の12月、別府へ訪れました。ほんのちょっと観光の時間が有りました。B級スポットが好きな私はこの別府タワーに向かいました。
別府駅から歩いて、約10分でした。
塔博士の内藤多仲博士による設計だそうです。別府市長であった脇鉄一氏による別府観光開発という会社が1957年(昭和32年)に建造したそうです。
現在はタイホーレジャーグループの施設となっています。タイホーレジャーグループはパチンコ店等を展開しています。
5階建てのビルの上に鉄塔が建っています。全体の高さは90mだそうです。
入場料が1人200円でした。1階のエレベーターの近くに小さな自販機が有り、ここで入場券を買いました。エレベーターで展望室まで上がりました。
展望室からの眺望はさすがに素晴らしかった。海が綺麗でした。別府の街を見渡せました。タワーの周囲にはビルの温泉宿が見えました。どれもタワーからお風呂が見えないようになっているようです。
展望室には建設中の写真等が展示されていました。南京錠等が販売されていました。別府タワーのゆるキャラは「別府三太郎」さんだそうです。チョイワルおやじだそうです。


良い湯だな

駅前高等温泉 温泉
2014年の年末の12月に訪れました。別府の駅前で見掛けたこの温泉に寄ってみました。別府駅より駅前通りを海側へほんのちょっと行った所に有ります。入浴料200円に驚きました。
改装して、綺麗になっているのだと思います。大正13年(1924年)の建築だそうです。
温泉が「あつ湯」と「ぬる湯」の2種類有ります。それぞれ入浴料が200円です。200円で一方のみ入れます。以前は「あつ湯」が「並湯」で、「ぬる湯」が「高等湯」だったそうです。
靴は玄関脇のロッカーに収めます。財布等の貴重品は貴重品ロッカーを使いました。貴重品ロッカーの料金が100円でした。
私は「ぬる湯」に入りました。脱衣所にはカゴが有るのみです。
浴室はコンクリートの古そうな作りでした。
「ぬる湯」にはお風呂が2つ有ります。1つがかなり熱いお湯でした。体に良さそうな温泉だと思いました。
もう1つは階段下に有ります。こっちはかなりぬるいお湯でした。しばらく浸かりました。
料金200円なので。石鹸等は置いてありません。シャワーは有りました。ドライヤーは有料でした。
なんと、2,600円で宿泊もできるようです。

ミステリアス

宇佐神宮 寺・神社
2014年の年末の12月に観光で九州へ訪れ、この宇佐神宮へ訪れ、参拝しました。
JR日豊線の宇佐で下車しました。往路は丁度良いバスが無かったので、タクシーで向かいました。
参道沿いに大分交通の宇佐参宮線で走っていた26号蒸気機関車が置かれています。ドイツから購入した機関車だそうです。宇佐参宮線は1965年(昭和40年)に廃止されたそうです。
まず、上宮に向かいました。上宮は「じょうぐう」と読みます。
鉄好きの私としては、宇佐神宮の「モノレール」にも興味が有りました。神宮の杜を奥の方へ歩きました。「百段」の石段が着きました。南大門が立っています。南向きの石段が白く輝いていました。石段の脇に「モノレール」が有ります。斜行エレベーターと同様のものだと思います。エレベーターと同様にボタンを押して、カゴ(ゴンドラ)を呼びました。カゴがゆっくり下りてきて、乗り場に来ました。カゴに乗って、上へ上がりました。上宮の近くに上がりました。
上宮に来て、気付きました。私の調査不足でした。壮麗なはずの国宝の本殿が工事中で、全くそれが見えませんでした。2015年(平成27年)3月まで工事中の予定だそうです。こりゃ、再度訪問しないといかんかな。
八幡大神尊の一之御殿、比売大神尊の二之御殿、神功皇后尊の三之御殿の3つの御殿が並んでいます。それぞれの神様についてはウイキペディア等を参照ください。一之御殿から順に参拝しました。宇佐神宮の参拝は「二拝四拍手一拝」です。それぞれにお賽銭を納め、二拝四拍手一拝で参拝しました。上宮では国の安泰や繁栄をお祈りすると良いそうです。
上宮の脇に絵画館が有ります。入館料は1人100円でした。宇佐神宮の由緒や奈良時代の「神託事件」について絵画で示されていました。草創の頃の勇ましく戦う神様達が描かれていました。
本来の参道を下り、麓へ下りました。
下宮にも参拝しました。下宮は「げぐう」と読みます。下宮も上宮と同様に、一之御殿、二之御殿、三之御殿の3つの御殿が並んでいます。それぞれにお賽銭を納め、参拝しました。下宮は工事中ではなく、御殿を眺めることができました。下宮では自分や身の周りの人々のことをお祈りすると、良いそうです。
境内の中央に広々とした菱形池が有ります。この池も恐れ多く、有りがたい池です。いろいろと橋を渡り、歩きました。
上宮の有る亀山の麓の一角に御霊水が有ります。いくつか井戸が有ります。井戸の蓋を開けたら、水が見えました。あまり綺麗には見えませんでした。
境内の東側へ歩きました。頓宮が有ります。「とんぐう」と読みます。お祭りの神幸祭に使う社殿だそうです。お祭りのときに、一之御殿、二之御殿、三之御殿のそれぞれの神様が神輿に乗って、ここにいらっしゃるそうです。
さらに東へ歩きました。神宮を出て、細い御食川を渡りました。御食川は「みけがわ」と読みます。大尾神社に向かいました。参道の両脇に巨大な灯篭が立っています。石段をしばらく登っていると、暖かくなってきました。途中に「神託事件」の和気清麻呂公の大きな碑が立っています。カーブしている道を上ったら、大尾神社に着きました。朱塗りの格子の有る壁に遮られていますが、何か神秘的なものを感じました。
ずーっと戻って、神宮の宝物館を見学しました。入館料は1人300円でした。格別のお宝がいくつも有りました。
国宝の「孔雀文磬」が展示されています。文磬は打ち鳴らす楽器のようなものです。
上宮御本殿が工事中で、見られなかった代わりの見ものが有りました。通常何人も目にすることができない御本殿の鳳凰の障壁画が特別公開されていました。
他に境内の社殿の配置を記した古図がいくつも展示されていました。古代の建築設計図です。
これを見ると、境内の池の辺り等、あちこちに一之御殿、二之御殿、三之御殿の3つの御殿のセットの図が記されていました。境内の各社殿の造替 建て替えに伴い、各社殿の仮社殿が建てられていたようです。
さらに、神宮寺という神宮の付属の寺が有って、そこには塔等も建っていたようです。古の頃には境内に今よりももっとたくさんの社殿等が林立していて、とても壮麗で賑やかな聖域を形成していたのでしょう。
神宮の周りを寄藻川が流れています。「よりもがわ」と読みます。神宮の東側の寄藻川に神橋と呉橋が架かっています。呉橋は「くれはし」と読みます。鎌倉時代の頃から有った橋だそうです。度々修築されてきたそうです。屋根が有り、中国風で、横たわる龍のような橋です。
帰りは大分交通のバスで宇佐駅まで戻りました。
一通り参拝し、観光しました。この宇佐神宮はこれだけではないと思います。
宇佐神宮は全国の八幡宮の総本社です。どの町でも有る神社 八幡宮はウィキペディアによると、全国に4万4千社有るそうです。「八幡神」様を祭っています。八幡神様は第15代天皇である応神天皇陛下のことだそうです。
宇佐神宮の由緒書きに皇室が伊勢神宮につぐ第二の宗廟として宇佐神宮をご崇敬されていると記されています。
これらのことが何を意味するのか。歴史的な想像、妄想を掻き立てられます。私が思ったことをちょっと書きます。
地名の「宇佐」、「伊勢」に発音上の共通点が有ります。「ウサ」、「イセ」であり、1音目がア行で、2音目がサ行となっています。これに何か意味が有るはずですが、今の私の日本語の知識ではそれが分かりません。つまり、かなりの昔、今の日本語とは違う言葉が使われていたのだろうと考えました。その頃に、宇佐と伊勢で何かが有ったのかもしれません。九州の「阿蘇」、北海道の「有珠」にもこの共通点が有ります。これらが何を意味するのでしょうか。
伊勢神宮はよく知られています。祭られている天照大神尊は天皇家の祖先の神様であり、はっきりしています。一方、宇佐で天皇の第15代目がなぜ、御示現 お現れになったのか、はっきりしません。伊勢神宮ではなく、このよく分からない宇佐神宮に我が国日本の秘密が隠されているように思いました。
日本中のいろいろな伝説が宇佐に繋がっているのかもしれません。
「八幡」は「やわた」とも読めます。九州北部の地名に「八幡」が有ります。九州北部は古代日本へのつながりがいろいろと有るのでしょう。1901年(明治34年)に操業開始した製鉄所が「八幡製鉄所」というのも因縁でしょうか。
さらに、日本の同盟国 米国U.S.A.が独立する1000年以上前から、ここがUSAなのも、因縁でしょうか。こりゃ関係無いか。

ザ、大分

かえで 神宮前店 (宇佐 / からあげ)
2014年の年末の12月、訪れました。
有り難き宇佐神宮の門前です。参拝後にこのお店を見掛けました。大分名物ということで、寄ってみました。
「からあげほねなし8個」500円を注文しました。寒風のなか、待ちました。こういうお店なので、寒風はお店のせいじゃありません。数分で出てきました。
隣が「JAおおいた」です。ここの自販機でお茶を買ったら、「おおいたっ茶」でした。
寒風の「宇佐八幡」のバス停で待ちながら、唐揚げを爪楊枝を使い、食べました。熱々でした。猫舌の方はご注意ください。
にんにく醤油味でした。かなりにんにくが効いていました。ジューシーで、軟らかく、おいしかった。
脂身はあまり有りませんでした。肉の味とにんにく醤油味を堪能しました。
揚げ油たっぷりでしたが、特に胃もたれはしませんでした。
熱々の唐揚げをいくつも食べたので、お腹が少々温かくなりました。
大分の唐揚げと大分のお茶、大分のもの2つ頂けて、良い食べ歩きだと思いました。

新幹線を補完する在来線特急

特急ソニック 乗り物
JR九州の特急列車です。
2014年の年末の12月に観光で九州へ訪れました。早朝に博多より3号に乗車し、小倉を経て、宇佐まで行きました。
交流の特急電車です。デザインは工業デザイナーの水戸岡鋭治使徒によるものです。
博多から小倉まではまだ暗い中を走りました。
小倉で進行方向が逆となりました。乗客の皆さんが席が進行方向を向くよう座席を転回しました。
この電車は「振り子式」というものです。「振り子式」はカーブを通過するときに、車体を傾けることで、高速でのカーブ通過を図ったものです。この電車の振り子式はセンサーによりカーブを検知し、コンピューター制御によりカーブと速度に応じて、自動的に車体を傾かせるものです。走行中、眺めていると、カーブに差し掛かる度に、几帳面に車体を傾かせていることが分かりました。


ザ、ビジネス

コートホテル博多駅前 ホテル
2014年の年末の12月に訪れました。
キャナルシティ博多の近くに有ります。
ビジネスホテルです。1泊1人分約3,300円でした。そういうことで、必要最低限という感じです。
浴衣が有りました。室内はベッドでほとんど占められていました。窓が有りましたが、夜だったので、何も見えませんでした。
朝食や夕食を付けられるようでしたが、私達には時間が合わなかったので、宿泊のみの利用でした。
特に不満は有りません。
便利な立地ですが、「博多駅前」ではないと思います。これはご愛嬌かな。しばらく歩いて、博多駅へ行きました。

2014年12月28日日曜日

どこにでも有るようなショッピングセンター

キャナルシティ博多 ショッピング
ここは鐘紡の工場跡地だそうです。
私は1993年(平成5年)にここを訪れました。運河に隣接した扇状の水面が有り、ボードウォークと小規模な飲食店が有ったように記憶しています。あれは再開発の前の状況だったようです。この直後にビルの工事が始まりました。
2014年の年末の12月に訪れました。今は巨大なショッピングのビルが林立しています。ビルにはおしゃれなお店がたくさん入っています。
ビルの間に水路が残っています。水路は地下1階です。擬似運河だそうで、臭いは有りません。
遠くから訪れて、観光するようなものはまだあまり無いように思いました。夜景は綺麗でした。

博多の総鎮守

櫛田神社 寺・神社
2014年の年末の12月の夜に訪れました。
中洲川端駅より上川端商店街をしばらく歩いたら、櫛田神社の入り口に着きました。
境内はやや広く、いくつか建物が有ります。お参りしました。
小屋に収められた山笠の山を見ることができました。
5月にどんたくが、7月に山笠が、10月におくんちが開催されます。有名な祭りが3つも有るなんて。
地元に親しまれている神社のようです。

九州での勝負飯

博多 ほてい屋 (中洲川端、呉服町、祇園 / 居酒屋、和食(その他)、魚介料理・海鮮料理)
2014年の年末の12月末、九州へ観光で訪れました。
一番のディナーを博多で頂こうと考えました。随分と考えました。私は東京に住んでいます。東京には九州料理の店がたくさん有ります。九州ならではお店はどこが良いのだろうと思い、検索しました。博多は観光の街ではないのだと思います。観光客向けの九州料理のお店があまり無いようです。初心者の私には九州らしいお店がなかなか見付かりませんでした。
普通の和風の良さそうなお店にすることにしました。博多駅近くではなく、福岡市営地下鉄の中洲川端駅周辺で良さそうなお店が見付かりました。
訪れるのは12月末の日曜日の夜の予定でした。このお店は日曜日に営業していました。事前に予約しました。
夕方、中洲川端に到着しました。周辺には劇場の博多座、ショッピングのビル、遊歩道が有る水路、長い商店街、銀行等が有ります。福岡市の中心なんだなと思いました。
お店の周囲は東京の日本橋周辺の裏通りのような雰囲気。
予約の時刻になり、お店に入りました。私達は2人でした。カウンター席に座りました。
料理は予約していませんでした。メニューを見ると、お得な感じの「ほてい屋コース(10品)」3,500円が有りました。予約無しで、2人でも、OKでした。まず、これを2人分お願いしました。飲み放題は4人からだそうです。
刺身は説明していただけました。生サバの刺身も出ました。有り難く頂きました。おいしい刺身でした。甘い醤油もおいしかった。
若い料理人さんが料理されていました。
どれもおいしかった。
「里芋とエリンギの醤油バター」とえびマヨが特においしかった。えびマヨは横浜の中華街のものと同等でした。
コースとは別で、「五島産ゴマサバ」と「高知産金目鯛の酒蒸し」を注文しました。
ゴマサバは先程の生サバの刺身にゴマ味噌のたれが掛かったものでした。これはサバが素晴らしいと思いました。
金目鯛は高知産で、九州ではなかったですが。鍋料理の大きな鍋で出てきました。塩味で炊かれていました。目玉もおいしく食べました。汁もおいしかった。
2人で1万5千円ちょっとで、安いと思いました。九州を堪能できました。



福岡の八幡宮

筥崎宮 寺・神社
2014年の年末の12月に訪れました。
福岡県福岡市に有る八幡宮です。
あまり目にしない「筥」(はこ)の字は円筒状の容器を意味します。「筥崎」は応神天皇陛下の産まれたときの胞衣(えな)を筥に入れて、この地に埋めたことに因むそうです。胞衣は胎盤等のことだそうです。極めて恐れ多い地です。
JR鹿児島線の箱崎駅、福岡市営地下鉄箱崎線の箱崎宮前駅が最寄りで、アクセスしやすい神社です。
境内でまず目にするのが、楼門に掲げられた「敵国降伏」の扁額です。元寇の際に亀山上皇陛下が「敵国降伏」を祈願され、この扁額が掲げられたそうです。
当時は元寇という日本国の危機でした。日本が神様と一緒に一丸となって戦った結果、超大国 元に対し、日本が勝ちました。
楼門前で参拝しました。福岡空港が近く、着陸する飛行機の雄姿がしばしば見られました。
境内には筥を埋めた地のしるしの筥松、高さ約6mの亀山上皇尊像等が有ります。境内はコンパクトで、短時間で参拝できました。
参道を本殿とは逆の方向にしばらく歩きました。国道3号線沿いに大きな鳥居が立っています。
国道3号線を渡ると、広い駐車場のような場所が有り、そこに入れました。先に水面が見えます。さらに歩くと、水際に到着しました。赤い鳥居が立っています。ここの砂は真砂(まさご)であり、有り難い砂です。
水面は博多湾です。この海はちょっと残念。目の前に高速道路が通っており、酷い景色です。海水もあまり綺麗ではありませんでした。かつては白砂青松の美しい海岸線だったそうです。今後、なんとか綺麗にしてほしいです。今は想像力で白砂青松をイメージしましょう。

模型に歴史有り

筑後川昇開橋 名所・史跡
東京 神田の交通博物館で幼かった私がここの精巧な模型を何度も目にしていました。ボタンを押すと、橋が上昇し、船が通過するというものです。これはこの橋の建設時にその構造を説明するため、作られたものだそうです。この橋の建設後の1937年(昭和12年)のパリ万博にこの模型は出展されたそうです。交通博物館の子供である埼玉県さいたま市の鉄道博物館で今もこの模型は保存されています。
これは旧国鉄佐賀線の筑後川の下流部の福岡県大川市と佐賀県佐賀市を結んでいた橋です。1935年(昭和10年)に完成したものです。当時の主要な交通機関であった舟運のため、中央部が上昇する可動橋です。
1987年(昭和62年)に国鉄佐賀線が廃止され、この橋も解体されそうになりました。地元の人々、関係者等のご尽力の結果、橋は残りました。改修工事が行われ、見事に蘇りました。現在、橋は遊歩道となっており、橋も上下稼働します。
資料館等は有りません。佐賀県側に「橋の駅ドロンパ」という商業施設が有ります。
2014年の年末の12月に訪れました。橋を歩いてみました。良い天気で、気持ち良かった。
橋上に小さな小屋が有り、管理している作業員さんが居ました。
稼働はAM9時~PM4時30分頃までで、30分毎に降下、上昇しています。週に1日休業しています。年末年始も休業します。私が訪れたのは、年末12月の最後の稼動日でした。
時刻になり、橋が降下始めました。無音であり、驚きました。構造はエレベーターと同じだと思いました。考えてみれば、良くない地盤で、潮風も厳しいはず。軋む音等全く有りませんでした。
佐賀県佐賀市側には佐賀市営バスの「昇開橋前」のバス停が有ります。福岡県大川市側では川沿いを上流側北東側へ約500m歩くと、国道208号線に西鉄バスの「大川橋」のバス停が有ります。

佐世保駅にて

ログキット 佐世保駅店 (佐世保、佐世保中央、中佐世保 / ハンバーガー)
2014年の年末の12月末、九州へ観光で訪れました。
ちょっと余裕の無い行程でした。佐世保駅で乗ろうと思ったJRの特急が出てしまいました。次が1時間後でした。しばらく、佐世保駅でのんびりしました。
佐世保駅で佐世保バーガーのこのお店を見付けました。
私は改札内側に居ました。改札外側に並んでいる人が居ました。改札内側から注文できるかなと思いながら、店員さんに声を掛けました。用紙を渡され、それに注文を記入しました。「U.S.バーガースモールサイズ」380円を注文しました。10分くらい要すると告げられました。
改札の外内を併せて、順番で調理していました。駅構内の自販機で缶コーヒー等を買いながら、待ちました。
アメリカンのバーガーの食べ方が掲示されていました。上品に食べないようです。プラスチックじゃないのですから。重力と握力とでぐちゃっとなるのは当然ですね。
10分弱で呼ばれました。
JRの特急の席で食べました。
熱々でした。パンがこんがり焼かれていました。
おいしいハンバーグでした。野菜がたっぷりで、ドレッシングの味が効いていました。
肉を味わいながら、さわやかさも有るバーガーでした。
私が撮ったハンバーガーの写真には写っていませんが、ちゃんとおいしい肉が入っていましたよ。


速い!速い!

定期航路
2014年の年末の12月に九州へ観光で訪れ、池島へ訪れました。
池島から佐世保へ向かうときに、この高速船に乗りました。池島から佐世保まで1,910円とちょっと高額でした。
朝8時35分、池島港より出航しました。
高速船なので、乗客は乗船中、船室から出られません。乗客用の船室はたくさんのリクライニングシートが並び、快適でした。でも、窓が有るため、写真を撮り難かった。
高速船の「れぴーどエクセル」はとても速かった。海の新幹線という感じでした。ディーゼルエンジンによる速度は32ノット(時速約60km)だそうです。
高速船は途中、瀬戸、松島、大島、面高に寄りました。それぞれで若干の乗り降りが有りました。地元の人々に利用されている交通機関のようです。
佐世保に9時35分ちょい過ぎに着きました。佐世保港から佐世保駅はすぐ近くです。9時44分に佐世保を出るJR特急に乗る予定でした。えぇ、間に合いませんでした。私の行程がちょっと無理なものでした。あーあ。

池島の宿

池島中央会館 民宿
2014年の年末の12月に訪れました。
池島で唯一の宿泊施設です。池島の中央の台地に有ります。
長崎市の公共施設のようです。市長宛の申請書に氏名等を記入しました。領収書を兼ねた市長からの許可証が発行されました。
1泊1人3,384円でした。食事は有りません。他のお店で夕食としました。
1階、2階の随所に池島炭鉱の写真等が多数展示されていました。
3階が泊まる部屋です。和室の室内で、良い感じでした。
タオルと歯ブラシが付いていました。浴衣は有りませんでした。トイレは男女別の共用です。
お風呂が共用で、男子と女子で使い分けて、使います。広い浴室なのが、残念。寒い時季だったので、お湯がすぐにぬるくなってしまいました。
2階に調理場が有ります。使いませんが、ちょっと覗いてみました。たくさんの食器が有りました。仕事で訪れたサラリーマン達がこれで宴会をしていたのかなと思いました。

2014年12月27日土曜日

池島の食堂

かあちゃんの店 (西海市その他 / 定食・食堂)
2014年の年末の12月末、観光で池島へ訪れました。
池島炭鉱は2001(平成13)に閉山しました。最盛期には約8000人住んでいたそうです。8000人分の住居が有ったということだと思います。その全島が廃墟となろうとしています。新しい巨大な廃墟です。これが観光地となるかもしれません。現在、私も含め、若干の観光客が訪れています。
池島では「池島中央会館」が唯一の宿です。その近くにこの「かあちゃんの店」が有ります。
不定休で、PM6時頃まで営業しているそうです。訪れる方は、確認して、訪れてください。
長崎市設池島総合食料品小売センターに有ります。この小売センターに何軒かお店が有ったようです。でも、今はこの「かあちゃんの店」のみのようです。
小売センターの中央の共用スペースだったと思われる所に会議用の長テーブルが2個置かれ、そこでお客さんが食べます。ペットボトルに水が入っていました。
私達は2人でした。「カツセット」750円と「トルコライス」900円を注文しました。
傍らにドリンクのガラスケースが有ります。そこから缶ビールを取り出し、乾杯としました。
ビールを飲みながら、ちょっとしたら、出てきました。
「カツセット」は普通のとんかつ定食でした。
「トルコライス」はとんかつ、チキンライス、ケチャップ味のスパゲッティーでした。トルコライスがとんかつも食べられて、ボリューム有る一皿でした。
とんかつはカラッとしており、おいしかった。
テーブルにマジックペンが置いてあります。壁のベニヤにお客さんがいろいろと書くそうです。炭鉱に関する上手な絵が有り、感心しました。
ここがまた賑やかになると、良いなと思いました。


足下に要注意

四方岳 シホウダケ ( 長崎エリア / トレッキング・ハイキング)
2014年の年末の12月に訪れました。
池島の西側に池島小中学校が有り、その西に池島神社への道が有ります。
池島神社は池島の郷地区の白山比咩(ひめ)神社と池島炭鉱の守護神 大山祇神社を合祀し、1960年(昭和35年)に建立されたものだそうです。
参道の石段の脇に細くかなり急なコンクリートのスロープを見付けました。これが頂上への道だと思いました。湿っているときや登山に不向きな靴のときは避けてください。
登ってみました。一部にコブ付きのロープが有りました。ロープを引いて、頼れるかを確認し、ロープを使いました。
スロープの頂部に大きな給水タンクが有ります。ここは木々に囲まれ、眺望が有りません。
これだけじゃないだろうと思い、周囲を探りました。奥にまた、コブ付きのロープが有りました。これを掴んで、ちょっと上ったら、頂上に着きました。
足下が石の所と草の所が有ります。踏んで大丈夫か探りながら、足を運びました。頂上には三角点が有ります。標高は150mだそうです。
素晴らしい絶景です。池島の街が見え、沖の角力灘(すもうなだ)に浮かぶ小角力(こずもう)、母小島(はこしま)、大角力(おおずもう)も見えました。