2015年7月18日土曜日

遷座を繰り返された神社

築土神社寺・神社
2015年7月の土曜日、お参りしました。
九段坂の北側に有る神社です。
かつて、大手町付近に「津久戸村」が有ったそうです。平安時代の天慶3年(940年)に今の大手町付近である津久戸村で平将門公の首を祀り、この神社が創建されたそうです。
室町時代に太田道灌公により今の大手町付近より今の九段坂上へ移転させられました。
江戸時代に江戸城の拡張に伴い、今の新宿区筑土八幡町へ移転しました。
平将門公は朝敵でした。朝敵を祀るのがまずかったのでしょう。明治7年(1874年)、天津彦火邇々杵尊を主祭神とされました。「あまつひこほのににぎのみこと」と読みます。
昭和20年(1945年)に戦災に遭われ、昭和21年(1946年)に千代田区富士見へ移転。昭和29年(1954年)に現在地の九段坂北側へ移転されました。
この神社がかつて有った新宿区筑土八幡町と現在地九段坂北側は両方とも台地の際で、崖地です。この神社は崖地を選んで、鎮座されたように思います。「筑土」は崖地とそれを固める土木工事を意味するのでしょう。
平成6年(1994年)に全面的に建て替えられたそうです。
社殿がコンクリート造となり、併せて、アイレックスビルが建てられました。社殿が千木が有る古風な神明造のような建築ですが、コンクリート造です。アイレックスビルは境内に建っており、1階が神社の社務所になっています。
祀られている天津彦火邇々杵尊は女の神様です。このため、社殿の千木が先端が水平である平千木となっています。荒ぶる平将門公が女の神様の天津彦火邇々杵尊に押さえられているという状況でしょうか。
社殿が風格有り、良い感じでした。
現在の神社はビルに囲まれています。西側にはアイレックスビルが建っており、東側に北の丸スクエアのビルが建っています。
北の丸スクエア側からはこの神社を見上げることになります。崖地に建っていることがよく分かりました。
崖下から見上げた姿が良い景観です。
天皇陛下がいらっしゃる皇居のすぐそばに朝敵であった平将門公が祀られているということが、日本や東京の強さに繋がっていると考えます。東京は何でも有りとなっています。


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