2月のまだ寒い土曜日、町田市の散策に出掛けました。東京都道57号線芝溝街道を歩き、この資料館に寄りました。
鎌倉街道の綾部原トンネルの近くです。芝溝街道のこの辺りは北側が丘陵の麓の傾斜地となっています。この資料館も傾斜地に建っています。道路よりちょっと登って、資料館に入りました。お城のような白壁と瓦の建物です。
入館無料でした。靴を靴箱に入れて、スリッパを履きました。
ここは、「自由民権運動」に係わった村野 常右衛門 氏が私財により建てた道場「凌霜館」の跡地で、町田市に寄贈された敷地だそうです。
最近の市民運動は反日的で、日本が良くなることを妨げているように見えます。しかし、日本の近代化時の自由民権運動は国会や憲法に繋がる正に近代化そのものであり、重要なものだったと思います。
この資料館にはあまりポピュラーな展示は無く、難しいなぁという感想でした。
町田市がなぜ東京都になったのかが、ここの展示で分かりました。自由民権運動のせいで、東京都になったと言えましょう。併せて、この辺りが自由民権運動の場であったということだと思います。
今の東京都の多摩地域はかつてその全部が神奈川県だったそうです。当時の神奈川県知事が多摩地域で盛んであった自由民権運動と自由党を嫌い、多摩の東京府への移管を希望したそうです。東京府は多摩の水源を必要としていました。国の調整の結果、1893年(明治26)年4月に多摩3郡が東京府に移管されたそうです。
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