この四天王寺に行くのは2度めでした。何か凄い力を感じ、魅力有るお寺だと思います。2016年9月、天王寺駅近くのホテルに宿泊しました。土曜日の朝、散策で四天王寺へ訪れました。
日本の古代、西暦587年に廃仏派の物部氏と尊仏派の蘇我氏が争う丁未(ていび)の乱が起きました。我が国の政権を争う乱です。このとき、蘇我氏側であった厩戸皇子(聖徳太子)が仏の加護を得ようと、四天王の像を作り、戦勝を祈願し、勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通(くづう)に努めると誓ったそうです。その後、蘇我氏、聖徳太子側が勝ちました。聖徳太子がその誓いの通り建立したお寺がこの四天王寺だそうです。物部氏の領地の一部が聖徳太子のものとなったとのこと。広大な四天王寺です。ここは物部氏の宮殿や政庁の跡だったのかもしれません。
日本に仏教を広めたのは蘇我氏と聖徳太子。その乱の勝利直後の建立のお寺がここ。ということで、四天王寺は日本の最初の仏教のお寺、日本仏教の総本山だろうと思います。
早朝なので、伽藍内部には入れませんでした。周囲を歩きました。
六時礼讃讃(らいさん)堂は開いており、お参りしました。六時礼讃は1日を6つに分け、それらの6つの時に礼拝をすることだそうです。朝の礼讃は8時だそうです。
六時礼讃堂の前に石舞台が有ります。同じような石舞台が近くの住吉大社にも有ります。古代からのものであり、建造するのがタイヘンだったと思います。木ではない石の舞台が何のためのものか私には分かりません。ミステリーだと思います。
四天王寺の伽藍は中門、五重塔、金堂、講堂が一直線状に並んでおり、原始的な配置であり、最初のお寺らしい。伽藍の外から五重塔等を眺めました。
広大な境内に空海先生、親鸞聖人、日蓮上人等のお堂や像等のモニュマンが有ります。各宗の宗祖の彼らもここ四天王寺では聖徳太子の弟子にあたります。
亀井堂の下では清らかな水が湧いています。大阪のこの辺りは井戸や湧水が多いそうです。
境内におじさん、おばさんがチラホラやってきました。ラジオを持ってきており、6時半よりラジオ体操をしていました。
有り難く長閑なお寺でした。
南大門の近くに熊野権現礼拝石が有ります。この後、私達は天王寺駅よりJR特急で熊野古道に向かいました。
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