12月26日(月)、船橋市の京成本線「大神宮下駅」より歩き始めました。
意富比(おおひ)神社(船橋大神宮)へお参りしました。景行天皇40年に日本武尊(やまとたけるのみこと)様がここで祈願したとのことで、これが西暦何年なのか分かりません。とても古い神社のようです。ここがちょっとだけ地面が高くなっており、大昔はこの辺りが海岸だったのでしょう。
私は船橋市の日大へ6年間行っていましたが、ここの地形を分かっていませんでした。今、気付きました。南西側の東京湾側の低地と北東側の印旛沼側の低地の間を分水嶺の尾根が通っています。両側にはいくつもの複雑な谷地が生じており、小河川が流れています。この尾根を新京成線が走っており、比較的地盤の良い所を選んだみたい。そこに習志野台と日大が有ります。一方で、東葉高速鉄道は谷地の谷を貫いています。こりゃ、怖い。
船橋市の実業家で政治家であったイイヤママンこと飯山満(いいやまみつる)さんという架空の人物については、
https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E9%A3%AF%E5%B1%B1%E6%BA%80
に書かれています。
飯山満(はさま、はざま)は挟まれた場所を意味するそうです。飯山満川沿いを辿(たど)ると、北習志野駅に着きました。
日大薬学部の西より北東へ川が流れています。坪井町には区画整理により作られた深い調整池がいくつも有ります。この辺りは特に見所は見い出せませんでした。
八千代市に入り、谷地の上の八千代緑が丘駅より帰りました。
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