鳥居での会釈はあまりしません。
文字を使わなかった原始より自然発生的に神様への信仰は始まったはず。当時は二礼二拍手一礼も鳥居での会釈も有ったとは思えない。こういうマナーは信仰の本質ではない。むしろ、鳥居での会釈はここ十年くらいの慣習じゃないかな。
気持ちの現れで、鳥居で会釈をするのは良いこと。でも、他人に押し付けるのは、よくない。いわゆる同調圧力です。誰かの何かのエゴだと考えます。
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