1月30日(土)、早朝の電車を乗り継いで、本庄駅で下車。急いで南口へ行き、朝日バスに乗り、新宿(しんじゅく)のバス停で下車。
8時20分頃、歩き始めました。道路を緩やかに上り、尾根の辺りに金鑚(かなさな)神社と大光普照寺(だいこうふしょうじ)が有ります。この神社とお寺はセットなのだと思います。
まず、大光普照寺へお参りしました。飛鳥時代に聖徳太子様が創建し、天台宗第3代座主の慈覚大師円仁様が再興したという、ホントかなと思ってしまうすごい縁起のこのお寺です。今の本堂はあまり古さは感じませんでした。欄間の彫刻が素晴らしかった。高い方への道が有り、登ってみました。展望台のような所が有りますが、見晴らしはイマイチでした。
次、金鑚神社へ向かいました。大きな鳥居2つを潜り、石段を登りました。多宝塔が見えてきて、良い眺めでした。天文3年(1534年)に武士の阿保(あぼ)氏からの寄進により建立されたそうです。神社で多宝塔に違和感を感じました。
奥へ進みました。ここは金鑚神社の本社で、いわゆる式内社。日本武尊(やまとたけるのみこと)様が「火鑚金」(ひきりがね)をこの山に納め、天照大神(あまてらすおおみかみ)様と素戔嗚尊(すさのおのみこと)様を祀ったのが創建とされています。火鑚金は火起こし用の火打金。一方で、「金鑚」は砂鉄を意味するそうで、近くの神流川(かんながわ)周辺で良好な砂鉄が得られたと考えられているそうです。
御嶽(みたけ)山がご神体であり、本殿が無いそうです。木の鳥居を潜り、囲いの中に入りました。神秘的なものを感じました。拝殿へお参りしました。奥に中門が有り、その向こうが山です。本殿が無いので、多宝塔が寄進されたのかな。
横に登山口が有り、登り始めました。無数の句碑が立っています。長い階段の道で堪えました。大きな岩が有ります。鏡岩であり、斜めの表面が赤く平ら。赤鉄石英片岩だそうです。
頂上部に無数の石仏様がいらっしゃいます。東側の「岩山展望」へ向かいました。おっかない岩場であり、3点支持で慎重に登りました。岩山の頂上に石の奥宮と方位盤が有ります。ここは素晴らしい眺めで、360度見渡せました。赤城山、榛名山、秩父の山々、本庄や児玉の広い市街地、近くの工業団地やゴルフ場が見えました。西側が御嶽山頂上で、標高343.5m。ここは御嶽城跡でもあるそうです。
児玉の尾根に行きたかったのですが、行く手をゴルフ場に阻まれていました。神流川(かんながわ)沿いの埼玉県児玉郡神川町の渡瀬(わたるせ)へ下ろうとしました。法楽寺跡が有り、湿地のようになっていました。ちょっと道を間違えて、改めてスマホでの地図を見ながら、慎重に下りました。
神流川沿いの集落の道をしばらく歩きました。群馬県との県境である神流川はちょっと渓谷になっています。
お墓の横に櫓(やぐら)峠への登山口を発見。登り始めました。成長が早そうな笹や低木が茂っており、ヤブになりつつありました。ジグザグになっており、傾斜は程々。頑張って、櫓峠へ上がりました。ここは標高約270m。石仏様が立っています。この地名、やぐらが有ったのかな。この峠道も古くからの道なのではないかな。
児玉山間部の集落の道を歩き始めました。古民家を宿泊施設とした稲沢古民家木村邸の前を通り、西光寺へお参りしました。鳥居が見えてきて、1つの社殿に「丹荘神社」と「稲聚神社」の2つの額が掲げられています。20円を納めて、それぞれにお参りしました。
板石塔婆(いたいしとうば)を指す標識が見えて、そっちに向かいました。小屋に「元田三連板石塔婆」が納められ、展示されています。3つ分が1つの板石塔婆となっているそうで、幅と厚みの大きな板石塔婆です。ここに浅間神社が3つ有ります。1つめへお参りしました。奥へ行き、見渡すと、植物が茂った危ない感じの急な石段の上に壊れつつある社が有り、2つめです。慎重に上って、お参りしました。3つめはこの山の上に奥宮が有るそうで、片道30分の急登だそうです。3つめは省略しました。この隣にもう1つ金鑚神社が有ります。石段を上ると、社殿に日露戦争時の旅順港における乃木将軍様一行の絵が掲げられており、異様な感じでした。
長い道を児玉駅まで歩きました。駅に着いたとき、ディーゼルカーが走り去りました。あーあ。50分待って、次の列車で帰途に就きました。