2018年11月2日金曜日

竜閑川について

私は生まれは神田じゃなくて茨城生まれですが、神田の鍛冶町2丁目で住み育ち、今川中学校に通っていました。
それで知っていることを書きます。今川橋が跨いでいた竜閑川(人工の掘割)は区界であり、神田と日本橋の境ですが、もう1つ有ります。それは士農工商の職人の町と商人の町の境ということです。その名残が今も明らかです。日本橋側は銀行、商社、デパートが立地していて、でかいビルが多い。一方の神田側はメーカーや問屋が多く、鉛筆ビルが多いです。

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