新府城は天正9年(1581年)に武田勝頼公が築きましたが、その武田家は翌天正10年(1582年)に滅亡してしまいました。
短期間で作られたはずですが、広くて、複雑で、攻められにくい城だったと思います。釜無川と塩川に挟まれた台地上のこの地形はえげつないと感じました。交通の要衝でもあります。
南側に大手門跡と三日月堀跡が有りますが、道路から大手門まで直接行ける道が有りません。無くなってしまったのでしょうか。大手門に道が無いのが不思議でした。
本丸の東側に急な石段が有ります。本丸に藤武神社が有り、お参りしました。
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