九州の壱岐(いき)は「天比登都柱」(あまのひとつはしら)と言われています。「劣っていた日本が進んでいた大陸よりいろいろと教えてもらった経路の中継点」ということでしょうか。壱岐を観光して、そんな印象は受けませんでした。
大陸からの仏教は直接、大坂や奈良に入ったようで、壱岐に大きなお寺は見掛けませんでした。
壱岐に無数と思われる神社が有り、日本の神社の根幹を成す何かが有ったのだと思います。だけど、神社の時代は文字による記録が乏しく、何にも分からないというのが実態のよう。
壱岐は離島であることで、むしろ、大陸からも日本国からも影響が限定的であったことで、古くからの神様への信仰が保存されたのだと思いました。
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