2020年6月28日日曜日

不味いものになっちゃったので、

市販の合わせ調味料を使ってトムヤムクンを作ろうとしたのですが。
エビとエリンギの炒め物が出来上がりました。

2020年6月23日火曜日

2020年6月21日日曜日

今日の夕食

1つは衝動で買った缶詰の豆、トップバリュベストプライスのスパゲッティー用トマトソースで和えました。よく合っていておいしくなりました。
もう1つはイワシの死体入り焼き飯です。ニンニクも入れました。ご飯に缶詰のオイルとニンニクが旨かった。


虫が飛ぶので、

ハエ取り紙を吊るしましたが。
これに捕まるのは酔っ払った俺でした。

2020年6月19日金曜日

ここはラーメンのお店

くじら食堂bazar 三鷹店 (三鷹 / ラーメン、油そば)
三鷹駅の北に警察署が有りますが、それは武蔵野警察署。その西の方でこの「くじら食堂bazar」を見付けました。
この店名なので、ラーメン店だとは分かりにくいですね。券売機で食券を買い、カウンター席に座りました。800円の「醤油」を注文。
最奥にトイレが有るので、奥じゃない方が良いかな。できたばかりという感じの綺麗なお店でした。
店員さんはワンオペでしたが、接客は良い感じ。あまり待たないうちにラーメンが出ました。
何も追加せず食べ始めました。麺は縮れた細麺。鶏の旨みとおいしい醤油の風味が効いていて旨いですね。インターネットによると、これは岡山県の「笠岡ラーメン」だそうです。
新鮮な緑色のネギの笹切りが載っており、このスープとよく合いました。鶏のコマ切れがたくさん載っていました。笠岡ラーメンは老鶏を使うそうです。わりと固く、モツを食べているような食感でした。
細切りのメンマというかタケノコもたくさん載っていました。ネギの味がスープに移り、スープがさらにおいしくなりました。
麺を食べた後、胡椒を少々掛けて、スープを飲みました。おいしい鍋料理の最後の汁を飲んでいるような豊かな味がしました。
椅子の座面が固い木なので、ずっと座っているとお尻が痛くなります。長居しませんけどね。

三鷹の中華

安楽 (三鷹 / 中華料理)
三鷹駅北口側をしばらく歩いていて、この中華料理店「安楽」を見掛け、寄りました。
昔ながらの街の中華料理店だと思います。カウンター席が無く、全てテーブルの席です。座って、900円の「天津丼」を注文しました。ちょっと待ちました。
トレイに載って天津丼とスープが出ました。茶色いあんかけの天津丼でした。
卵に野菜のネギ、ニンジン、タケノコがたっぷり入っていました。最初に炒めた野菜のようで、絶妙の加熱、シャキシャキでネギ等がおいしかった。
カニ等は入っていませんでした。甘酢のあんかけもおいしかった。
ちょっとだけ小振りな盛りで、ボリュームはあまり多くはなかった。

2020年6月18日木曜日

皆様、各自でご注意ください。

Facebookでここのところ、知らない多数の人から友達リクエストを受けており、ま、良いかと思い、100人以上承諾しちゃいました。
スパムと言うのでしょうか。
しつこいアクセスをしてくるものには対処しており、今は落ち着いています。

2020年6月16日火曜日

2020年6月7日日曜日

大学で先生に教わったこと

厳島神社はなぜ残ったか?何度も風水害で壊されましたが、その都度、直され、残っています。それは人々に愛されたからだと。
建物が残るためには人々に愛されることが必要です。テクノロジーだけじゃダメです。

私は、

概ね毎週土曜日、思い付きで関東地方各地へ1人で出掛け、散策しています。(緊急事態宣言発令中は出掛けていないことになっています(^^♪)
ここのところは、神奈川県中郡二宮町の相模国二の宮川匂(かわわ)神社、小田急線の新松田、東京都府中市の浅間山、神奈川県海老名市の相模国一の宮有鹿(あるか)神社、相模国分寺跡等を巡りました。
これらに共通点を感じました。台地の縁に遺跡、史跡、古墳が多数立地しています。これらが古い道で繋がっていたんだろうと実感しました。

2020年6月6日土曜日

小野路の古道

6月6日(土)、「歴史古街道団」の「最古の『鎌倉時代遺跡』が眠る?小野路関屋砦を探ろう!」に参加しました。大成建設「自然・歴史環境基金2019」助成事業で、団長が引率する現地探索会です。
多摩市の豊ヶ丘4丁目のバス停から歩き始めました。豊ヶ丘のOLD団地が良い感じでした。なんとなく古道っぽいものが見えました。
遺跡が有る所になぜか、綺麗なお寺が有ることが多いと私は感じています。ここは日蓮宗の「妙櫻寺」が有ります。
恵泉学園の裏を歩き、一本杉公園で早い昼休みとなりました。ここは古民家2棟が有り、鳥のチャボが放し飼いされていました。私はHOKUOで買った惣菜パンを食べました。
町田市に入り、尾根を行き交う道を歩きました。様々な時点のたくさんの古道がこの辺りを通っており、古い道が後の時代に改造されている等、とても複雑に見えました。東海から奥州への道がこの辺りで尾根を横切っており、この辺りが要衝だったようです。
このうちの最も古いと思われる道を団長が教えてくれました。その道はヤブとなっていました。履いていた登山靴が役立ちました。道沿いは砦の跡のようです。
アジサイが綺麗で、雷雨は免れました。